いつでも学べるという意志をもつこと
旧盆が開けると、また忙しい日々が仕事とい日々がやってくるのが、日本ですね。
一部が、休みを取るのをずらしたりしているのを聞いても、やっぱり日本は
同じ期間に休みを取るので、故郷で旧友に会えるというのも、共通した友人に会えるというのも
いいから、なかなか、なくならないんでは?
一律に、そう簡単なものではないんですね。
西欧的な議論で、物事をバッタバッタと・・・‥…手際よく処理していくけるのも
単なる利益だけが中心の世界だからでしょうね。
ひとたび、人間の世界に入り込んでみると、そうではありませんので。
不都合、便利でない、不条理などが入り乱れているのが、実像ですから。
世の中、どんな状況であろうと、勉強、学ぶことができる。
そういうのが、座右の銘です。
かつて読んだことのある、話ですが。
石田三成が最後の時においても、腹が下っている状況でしたが、
それでもなお、明日からのことを考えて、敵からの申しであった飲料を断ったというのです。
回りにいた人は、皆、笑ったというのです。
だって、これから首の座に出るものが、明日のことを考えるんんて、ちゃんちゃらオカシイですから・・。
でも、石田三成がしたことは、死ぬ瞬間まで、望みを捨てなかったというもの凄い執念というか、
そういう話です。
論理が飛躍しそうですが、人間ていうのは、この場に及んでも、
こういう意志を持つことが出来るということですね。
やはり、アランの哲学ではないですが、
悲観主義は、その感情にあり、
楽観主義は、その意志に有りというのは、夢々忘れるものではありませんね。
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